頼り、頼られたいワタシ。【第2弾!】
私にはもう、支えてくれる人、頼れる人がいない...と落ち込んでいた私に
「それは違う!」
そう教えてくれたのが、高校からの友人でした。
1人でいると、いろんなことを考えてしまって、つらくなる一方でした。
本当にやばかったので、その友人にわたしはこのことを打ち明けたのです。
打ち明けるのには、とても勇気が必要でした。
こんなこと友達に相談してもいいのだろうか?
迷惑じゃないか?
どう思われるんだろう?
わたしの悩みを聞いて、楽しいわけありません。わたしなんかの悩みに、友達の時間を奪うのが申し訳なかったんです。
でも、1人で抱えるのもキツくて、我慢できず、とうとう打ち明けてしまいました。
結果、私のまとまりのない話を嫌な顔一つせず、聞いてくれました。むしろ、一緒になって考えてくれて、自分の経験から言えることをたくさんアドバイスしてくれました。
私は大学生の頃から、
友人の話を聞く方で、自分のことを話すのは苦手でした。
なぜかとても気を遣ってしまうのです。でも、「彼氏」という存在になら、変な気を遣わずに済んだのです。
これまでの私は、どこに行きたいとか、自分のワガママを友人には言ってはいけなくて、彼氏という存在になら許される、と勝手に思っていました。
でも、友人はそれは違うんじゃない? と言うのです。
友達にだって、相談したり、どーでもいいことを話してもいいんだよ。考えすぎ。私なんて、彼氏がずっといないから、1人で抱え込みきれないことがあれば、すぐ友人に連絡して聞いてもらうよ。そしたら、わたし、なんでこんなことで悩んでたんだっけ? って思える。
そう言う存在がいることって本当にありがたいよね。
気を遣って言えないのかもだけど、私は頼ってもらえると嬉しい。のんちゃんも友達の話は聞いてあげるとやろ??
なら、のんちゃんも話していいんだよ! 1人で抱えこんでダメになるよりマシ! 吐き出して、スッキリして元気になれるのなら、自分の気持ち押し殺して我慢するなんて損!
私の友人への接し方と、友人の友人への接し方の考え方が全然違うことに、その時気づきました。今までの環境や経験から、異なる価値観になるんだということがよく分かった瞬間でもありました。
友人だから、彼氏だからなんて、あんまり関係ないのかもしれない。友人にも言いたいこと言っていいんだ。だって、みんな同じ人なんだし。
私の場合、たまたま彼氏という存在が、私にとって心を深くひらけたから、頼ってもいい存在だと認識し、一方で、友人には一定の距離をとって付き合わなければならないと思っていたから、中々本音を話せる存在がいなかったというだけ。
だから、彼に彼女ができたことで、私の唯一の心をさらけ出せる人がいなくなってしまったと感じてしまったのです。
でもそれは、全く違っていた。
今回、友人に打ち明けることで、落ち込んでもまた立ち上がってなんとか生きていくためには、彼氏という存在の固まった考え方をほぐして、友人とかにも、もう少し心を開いて頼れるようにならなきゃ、自分がキツくなるだけだと思いました。
友人に打ち明け、気持ち的にとても救われたことで、そのことがよくわかりました。その友人のことが、大好きになりました。
そして、もう一つ気づかされたことがあります。
それは、知らず知らずのうちに、ネットの世界に飲み込まれているかもしれない、ということです。
続く......!!!
長編になっちゃうよ~!!【第一弾】頼り、頼られたいワタシ。
連載みたいになっちゃうくらい、濃いお話と気づきがありまして、
ここに記したいと思いました。
だけど、そうなるとタイトルが思いつかない(笑)
他にもいいのがありそうな気もするけど、
『頼り、頼られたいワタシ』にしてみました。
だんだん変わるかもね(笑)
ある出来事で、
わたしは、頼り、頼られたいと思いました。
そして、それは、
「リアルを大切にする」
ことで得られるものなのだと気づかされました。
その出来事というのは、
以前付き合っていた人に、新しい彼女ができたということを知ったこと。
彼がどう思っているかはわからないけど、
別れた後も、恋人感覚な関係を持っていたため、私はずっと、変な期待感を持っていました。
だけど、それを聞いて、
ふっ切れた感じもしたけど、
同時に、ものすごく寂しくなりました。
心の支えが無くなったような気がしたのです。
私にはもう、支えてくれる人、守ってくれる人、弱いところをみせて、甘えさせてくれる人がいないんだ。
自然と目からぽろぽろ涙が出てきて、
でももう、この涙も拭ってくれる人はいなくて、自分で拭わなきゃダメなんだと思うと、
耐えられない気持ちでした。
ただでさえ、
大きな目標を目指すために、孤独と闘うことも多いのに、
最後の一手まで奪われた感じがしたのです。
だけど、それは違いました。
それを教えてくれたのが、高校からの友人でした。
第2弾へ続く......!!
水野敬也著 夢をかなえるゾウ あと一踏ん張りの訓練課題
77.自分が困っている時に、困っている人を助ける
自分が困っている時、しんどい時って、人のこと考えてる場合じゃありませんよね?
急いでいる時に、エレベーターでボタン係(1番最後に降りる)やるとか、
めちゃんこ疲れてるのに、電車やバスの席を譲る、とか。
わたしゃきついから、他の誰か譲ってやって!
って心の中で思っちゃう。
でも、そこで一踏ん張りして人を思いやることができる人って、
他の人より1UPしてません??(どっかで聞いたことあるようなCMネタですみません(笑))
『夢をかなえるゾウ』の中では、
ハローワークに行く自分に自己嫌悪になっている主人公が、
自分も元気ないけど、
周囲を明るくするために、ハローワークをネタにして漫才をした結果、
自分も周囲も元気になった、というお話。
以下引用⤵︎
「ハロ ーワ ークのネタをしたとき勤太郎さんの心から不安が消えていったのは 、 『他人の不安を消してあげよう 』としたからなんです 。
他人に対して 『お金がなくても大丈夫だよ 』と言ってあげることで 、同時に 、自分の中にある 『お金がないと困る 』という不安を消すことができるのです 。
(中略 )だから 、自分が困っているときに人を助けてあげられる人は 、 『困っている 』という感情から抜け出すことができます 。
そして 、そのとき人は ─ ─大きく変わります 。
当たり前のように 、人を喜ばせることができるようになる。
でも私は、
ちょっと違った視点でこの課題を実行しました。
自分が、あぁ、もう無理かも...という状況になった時、
それが自分の限界と思うなら、
その限界をちょっとだけ越えるまでやるんです。
例えば、もう疲れた、自主練終わろって思ったら、
その後あと2回やって終わる、とか。
やってみると、案外、人ってできるんだと思いました。
しかも、やりきった感がある。
やってなかったらわからなかったかもしれない気づきがある。
私の尊敬する女性の方も、これに似たブログを書いていらっしゃったんですけど、
ホントにそのあと一踏ん張りがあるかないかで、人生だいぶ違ってくると思います。
どんなことも、あと一踏ん張りやってみる。
ちっちゃなことでも、その積み重ねが将来人生を大きく変えるんだよってことを、この課題から教えられました。
もう寝てしまいたいけど、ブログを書き終えて寝る、とか。
甘いもの食べたいけど、節約と健康のために今日は我慢しとく、とか。
もうやめたいけど、ここまでやるって決めて励むと、一歩一歩確実に前進していけるんだと思いました。
最近の私、
自分で自分にやるやん👍って褒めてあげたいくらいです。
自分に負けそうになるけど、夢実現したいなら、そこで負けちゃダメ!!
イメージ的には登山でもうこれ以上無理って時に、
ここで断念するか、頂上まで頑張るかの選択みたいな感じ。
そのための訓練がこの課題なんです。
これを続けていくと、自分が少しずつ強くなれる気がします。自信もつくじゃないかな。
あ!思ったのは、
自分の限界との狭間で負けちゃったら 、どんどん負けちゃうんですよね。
やる気もなくなるし、まあいっかってなる。マイナスの循環が流れていっちゃう。
でも、その時勝ったら、どんどんプラスの方向に動いていけるんです。
わあ、せっかくここまでやったんだから、やれたんだからも少し、もちょっと、もう一踏ん張りいけるんじゃね?!って。
ここまでやったなら、もう、いけるとこまでいくぞー!!って。
その頻度を増やしていきたい。
いやー、素晴らしい課題だ!!
いきなりだけど、「ありがとう」が言いたくなった。
こんにちは! 台風の影響で天気が荒れている地域も多いと思いますが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか??
えー。少し照れくさいですが、このブログをはじめて、約一年ちょっと経ちました。
速いですね~。
投稿数:146
アクセス合計:9206
総スター数(はてなブログでのいいね!みたいなやつ):1126
ブログ日数:135日
そして、
登録読者数:87人
え!!! あと少しで100人じゃん! 100人も夢じゃない!!
気が付けば、こんなにたくさんの方々に読んでいただいていた、ということに
とても嬉しく思いました。本当にありがとうございます。
こんな私の、もがいてるようなブログを読んでいただいて、なんだか、すごいなー書き手がいて読者がいるっていう関係。
なんて変なことを思いました(笑)
書きたくて、踊りたくて、表現したくて、このブログを書き始めたけど、
いつしかたくさんの応援してくれる人、応援したいと思える人、切磋琢磨しようと思える人と出会うことができて、
本当に感謝しかありません。
ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いいたします。
いきなりだけど、
そう思った時に言わなきゃ、忘れちゃうし、その時の生モノの気持ちをお届けしたかったので。
まだまだちっぽけな表現者。
これからもっともっと大きくなっていきます!!
水野敬也著 夢をかなえるゾウ〜イライラちょっとだけおさらばできる方法〜
76.運がいいと口に出して言う
今日は早く帰りたいっ!!!
そういう時に限って、電車が遅れたり、お客さんが全然帰ってくれなかったり、と色々ありますよね。
そのイライラは自分の都合だから、何も文句を言えない。相手は知ったこっちゃないことです。
でも、やっぱり、何でこんな時に限って!!って嘆きたくなる。
そういうことって、日々過ごしていれば、ありますよね。
私ももろ、最近そういうことが続いてて、鬱々してしまいました。
でも、ガネーシャの課題にもあることをやってみたら、気持ちが少しだけポッと明るくなりました。
その課題の内容はこうガネーシャが説明してます🔻
自分にとってうれしゅうないことが起きても、まず嘘でもええから『運が良い』て思うんや。口に出して言うくらいの勢いがあってもええで。
そしたら脳みそが勝手に運がええこと探しはじめる。自分に起きた出来事から何かを学ぼうと考え出すんや。そうやって自然の法則を学んでいくんや。
嫌な事実は変わらない。嘆いても事実は何も変わらない。
でも視点をちょっとだけ変えてみたことで、事実は相変わらず変わらないけど、気持ちが全然変わったのです。ぐちぐち人を恨むより、自分も相手も許せる考え方を持てた方が、気持ちいい!!
そんなお話です。
以前、電車が大幅に遅れてしまって、本当だったらいつもより早く帰宅できた、ラッキーデーになるはずが、電車の遅延によっていつもより帰りが遅くなってしまい、親にも迷惑をかけてしまいました。
それで、私はもうすんごくショックで、ツイッターにもつぶやきまくったし、お母さんにも「せっかく早く帰れたとに…本当最悪やん...」って吐き出さずにはいられなくて、気の済むまで愚痴ったんです。
そしたら、なんかそうグチグチ言う私に母がイライラしてしまい(移ったんですね(笑))
母も溜まっていた日頃の愚痴を言い出し、
なんか最後は、ケンカのようになってしまいました。
どっちが日頃キツイか、苦労してるか合戦です(笑)
これ、とてもいい失敗例ですね(笑)
でも、こないだは、
お客さんがいつまでたっても帰ってくれなくて帰りがまたまた遅くなってしまったけど、
お客さんがいつもよりおめかししてお店を出ていったので、デートかな? それなら仕方ない。楽しんでほしいなって少しほっこりしたし、電車に乗った時に、私がこうやって帰ることができるのも、電車が動いてくれているから。駅の人たちはこんなに遅くまで働いてくれてるんだ。私は何言ってんだか(笑)
そう思うことができて、イライラしてた気持ちが少しだけ解消されました。
後は、あまりにも帰りが遅いお客さんには、勇気を出して、閉店の時間ですと言うことを丁寧に伝えるっていう具体的な行動をとってみたりしました。
愚痴るだけでは何も変わらないし、余計に負のスパイラルに入っちゃうけど、
視点を変えてみただけでそこから脱却できる。
嫌なこと、思い通りにならないことは、生きていたらいっぱいあるだろうから、こんな風に自分で自分をなだめていい方向に持っていけたら、もっと楽しい、いい人生が送れるんじゃないかな〜と思いました。
塵も積もれば山となる、ですよ!(笑)
生きかた上手になりたいものだ!🍀
坂東玉三郎さん×鼓童の「幽玄」観てきました!!
先日、こちらを拝見してきました!!
歌舞伎というものを生で観たことがなく、知識も乏しかったのですが、はじめっから息ができなくなるくらい繊細な舞台で、感激しました!!
私、普通の歌舞伎を観たことがなくて、未だにどんなものかよくわからないのですが、ワンピース版の歌舞伎を観たときも迫力に圧倒されて、歌舞伎ってとてもエンターテイメントなんだなーと思いました。
今回は和太鼓集団の鼓童と玉三郎さんがコラボということで、またまた通常の歌舞伎ではなかったのですが、
全くズレのない和太鼓の小さく細かなリズムと全く無駄のない滑らかで芯のある歌舞伎ならでわの動きがもう、繊細すぎて、息が止まって苦しくなるくらいでした(笑)
でも、そこまで突き詰めるスゴさ!!
ダンスでも何でも、表現は
そこまで突き詰めて、
解像度をを高くしていくことによって
「魅せるもの」になっていくのだと思いました!!
こんな機会をいただいたことに感謝!
ご馳走していただいたり、歌舞伎の物語をお話ししてくださったダンススタジオの先生にも感謝!
美味しかった〜(笑)
【ただの日記】目指すものに努力なんてないのかもしれない
先月、NYの寛子先生のWSした。
振りもはやく入らないし位置とかに惑わされ集中力もなく、踊りはめちゃめちゃ素敵なのに思うように踊れなかった。
その後、膝の伸ばし方とかを聞いて、1人練習。
まだまだ半分しかちゃんと踊れてない。
もっと上手くなりたいと思った。
でも、やればできると思っている。この根拠のない自信はどこから来るのか自分でも驚くことがある。少し怖い。でも、まあいいや。
足くびと膝は努力でどうにでもなると寛子先生は言った。
筋肉硬いから伸びにくいけど、毎日ストレッチして、体幹して必ず上手くなる!!
踊るの、楽しい。
踊れるようになりたい。
そのためにしなきゃいけないことを、あんまり努力だと思わなくなって来た。
上手くなりたいから、やる、やりたい、やらんとやばい!
そう思うのって自然なことなんじゃないかな。
だって大学受験になれば、嫌でもたくさん勉強した。どうせやるなら受かりたかったし。高み目指したい!そう思った。
やりたいとか、やりたくないとか、好きだとかそうではないとか関係なく、
目指すものがあれば、自然と、それに引き上げられるように向かっていけるのかもしれない。
そう思ったら、ワザワザ努力してますって言わんでいいし、言わん方がいいのかもって思って来た。
むしろそれは、当たり前にやるべきことであって、努力とすら思わないのかもしれない。
どんだけ頑張ったかよりも、
どんだけ観てくれる人の心を動かして、伝わったかの方が断然大切だから。
ということを考えさせられ、思った今日この頃。