プロになっても変わらないのがプロ~トークタイムで学んだこと~
先日、5月よりレ・ミゼラブルのテナルディエ役を務められているKENTAROさんのワークショップに参加しました。
なんか不思議で、ガッツリ踊れば踊るほど、
踊っているというよりもお芝居している感覚に私はなっていきました。
やっぱり現役でミュージカルの舞台に立たれている方と踊っていると、その作品の曲の役になりきって踊るっていうのを肌で感じることができたのかなぁ。
15分ほどトークタイムがあったのですが、
そこで感じたのは
言ってることは何ら変わらないなぁということ。
プロとしての意識って、
それを目指している者であれば必ず
こうした方がいい、ああするべき、っていうのを言われる機会は絶対たくさんあって、
今回もやっぱり
いつも言われることをKENTAROさんの言葉で丁寧に言っていただきました。
プロになって意識するのではなく、
今、舞台人や表現者としてあるべき意識をしていなければプロになれるわけがない、
というか、プロになりたい人じゃない。
そういうことなんだろうなと、思いました。
そして、今回1番ハッとしたのは、
ある女の子が
「感情のコントロールがうまくできず、
喉固まって歌が歌えない」という相談をした時のKENTAROさんの答えでした。
「それが普通なんだよ。
でもね、役者の役割は活字に色をつけて行くこと。だから、表現する側は、お客さんの先をいってなきゃいけない」
この言葉、胸にググッときませんか??
表現する者は、物語を、話のその先を知っているんです。でも、あたかも知らなくて絶望に泣き叫んだり、這い上がっていく姿をお客さんに届かなければならない。
先を知った上で、伝わるように演じるって、
相当稽古しなければ届かないと言われていました。
感情ばかりが先行してもダメだし、
ただ演じるというだけでもダメ。
その塩梅を良くするために稽古がある。
何かを表現する時、
ナマ(生)の感情が1番気持ちいいと思います。
でも表現者は、それではダメで、客観的に自分を見る自分をもう1人持っていなきゃならない。
そこが表現者の生みの苦しみでもあり、醍醐味なのかもしれません。
でも、私はこうも思いました。というか、昔からそう教わったり、
自分でも本当にそうだと体感しているのですが、
意識しなければならないことを無意識にできるようになるまで稽古する。
その極致にいかに近づくことができるかが、
プロとそうじゃない人の違いなのだと思います。
例えば、舞台に立つ自分の位置、ではけのタイミング。細かいところまでいえば、ここは腕を伸ばして、ここはピシッと決める。そんなことを考えながら、気持ちを込める。
でも、技術的なことは、体に覚えさせて、考えなくてもできるようになるところまでやって、後は気持ちだけ!! ってくらいにしとくのが、舞台人として一番気持ちよくて、お客さんのためにも完璧なパフォーマンスになるところなのだと思います。
これはずっと私の心の中でいつも思っていることで、言ってしまえばこれができているかできていないかで舞台の良し悪しが、自分の中で決まってしまいます。
あー今回は良くなかった。今回はよかった! とか。
プロなら百発百中できてなきゃいけないんだと思うのですが。
そこの確率をどんどん上げていこうと思います。
そういわれると、KENTAROさんが言ってくださったことは、
幼い頃から言われていることがほとんどなんですよね。
基本的なことばかり。でも、その基本をどんなに立場や環境が変わってもできるかどうか、なんですよね。
そのことを改めて感じました。
あ!! あと、「必要枠」のお話もめちゃめちゃ励みになる話だった!
これはまた次回のお楽しみにしときますね!!(笑)
怪我をしない筋力づくりを大切にされているので、腹筋がきつかった(笑)