私というちっぽけな表現者

もの書きミュージカルダンサーへの日々。

良くも悪くも、何の先入観も持たずに読んだ結果がこちら。

 

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恥ずかしながら、伊集院静さんの本を今日初めて読みまして。

 

 

名前はきいたことがあるんです(笑)!

 

ですが、伊集院静さんの本を読んだことがありませんで、というか、伊集院さんのファンの方には申し訳ないのですが、関心がありませんで、読む機会、ご縁というものがこれまでになかったのです。

 

だから、この本を母に勧められなかったら、これからも読まなかっただろうし、というか、勧められた時でさえ、表紙を見て、「なんだこの、ダンディっぽさを醸し出しているおじさん」としか思いませんでした。

 

でも、ひょんなことから、ページをめくると、とまらないとまらない!!

小説でもなく、なんだ、このおじさん? と思ったおじさんのエッセイであるというのに、もう、面白くて面白くてたまらないのです。久しぶりに本の一気読みという幸せなことをしてしまいました。いやあ、本当に面白かった。さすが、素晴らしいな、このおじ……作家さん。

 

 

私が伊集院静さんに全く関心がなかったのに、彼の本を(先生と言ったほうが良いのでしょうか)手に取ったのは、母に勧められ、そしてちょうどその時暇だったから、というも大きな理由の一つですが(とことん失礼ですみません(笑))、決め手となったのは、『大人の流儀』というタイトルだろうと思います。見出しには、「本物の大人」になりたいあなたへ、と書かれていました。

 

和太鼓バカと言われるくらいサークル一筋だった私が部を引退し、就職活動をはじめてから現在まで、ずーっと思い悩んできたのが、大人と子供の狭間問題でした。

自立したいのにできない、いや、自立したくないだけ? 甘え? てか、大人ってなんだ、子供のままじゃダメなの? など、自立しようと思えば思うほど疑問が出てきたし、輝いている大人の人を見て、その姿に尊敬し、私も自分の道を進んでいこうと背中を押されることもありました。

 

それでも、この問題が解決したことはありません。いつまで続くのかわからないけれど、20代のこの時期はこうやって悩みながら、進んでいくしかないのだろうとも思います。だからこそ、このタイトルに惹かれたのです。

 

伊集院静さんがどんな人なのかという、良く言えば固定概念が全くない状態でこの本を読んだ私は、とてもとても刺激を受けました。もちろん尊敬の意です。お酒やギャンブルについてが、多少気がかりでしたが(笑)、初めの「なんだこのおじさん?」という印象は全く消え去り、「このおじさん、何者! いや、さすが作家さんだ! すごすぎる!」というものに一変しました。先生のすごさを知らなかったばかりに、こんな思いを抱きましたが、すごいのなんて、プロだったら、当たり前なんですよね、本当に頭が上がらないです……(笑)

 

 

まず一つは、やっぱり幾度も大きな賞を受賞されてあるだけある、先生の何でもない日常から得た気づきが、つらつらと書かれているエッセイであるのに、まるで小説を読んでいるかのような感覚で、お話が面白い! この一冊を読むまでに、何度声を出して笑ってしまったことでしょう。近くにいた母が、「そげん面白いとね?」と突っ込まずにはいられないほどです。描写が丁寧、かつ平明な文章。さらに、結論ないしオチにあたる最後の一文の切れ味が、尋常じゃないほどいいのです。先生ってこういう人なのだろうな~というのがわかる、ユーモアのある、その章最後の一文には、必ず圧倒させられました。他にも、自分のことを客観的に描いて、読者を少し翻弄させ、その後、その物語の真相を述べる、など読者に読ませるたくさんの技術がみつかり、今述べた、この本が素晴らしいと思う理由は、プロのライターを目指す私が、書き手目線でこの本をみた、というのがあります。おかげで、先生の作品をもっと読みたい、そこから学びたいという気持ちが芽生え、こんな素晴らしい作家さんを知らなかっただなんて、書き手として失格だと反省しました(まあ、今知れたからいいけど(笑))。

 

 

でも、それだけでなく、やっぱり本の内容も素晴らしいのです。技術だけじゃこんなに感動したり、心動かされるはずがありません。大人と子供の狭間問題や、それに伴う将来への不安から、自分の「生き方」というものにとても関心がある私は、かの有名な「がばいばあちゃん」の本や、99歳になっても働き続け、自分の力で生活をしている吉沢久子さんの本を愛読書として読んでいました。もちろん、自分の実のばあちゃん達から、話を聞くのも大好きで、実家に帰ると必ずばあちゃんの家に行って、たくさんおしゃべりをし、自分のこれからを前向きに考えてきました。

 

だから、「女性目線」の生き方の価値観には、多様に触れているつもりでしたが、「男性目線」での生き方に対する価値観には、ほとんど触れたことがなかったのです。

 

女性目線の生き方に対する価値観には、衣食住に関する心と体の健康が重要視され、どんなにつらいときも、寛容な心であることがうまくいく知恵であると言われます。でも、先生のエッセイでは、「大人の男はこうあるべき」というのがはっきりとしているのです。政治などの社会問題から世間の常識などに対する善悪が、先生なりにあって、その芯がとてもしっかりとしていて、それでいて温かく感じるのです。ズバズバと自分の信念を語る先生の言葉は、潔く、まっすぐで、私の心に響きました。

 

でも、思い返してみると、成功し輝いて見える人というのは、みんな自分の言葉を持っているように感じます。私はまだ、自分の言葉に自信がありません。この考え方ってあっているのかな? 本当にそうかな? と、いつも疑いの心を持ってしまいます。でも、ばあちゃん達や先生の言葉には、一点の曇りもないのです。それまでに私と同じような、迷いもあったのだろうけど、それを乗り越えた先にある真実というものをつかんだ、堂々とした言葉に聞こえるのです。

先日お話した芯のある女性は、こう言っていました。

「どんなことをしようが、輝いている人たちのやっていることは、みんな同じなんだと思う。成功の真理って必ずあるんじゃないかな。それができるか、できないかだよね」

 

そういえば、天狼院書店のライティング・ゼミでも、目標を実現するための方法をみんなで研究しても、必ず、もう絶対にある同じ真理へとたどり着くのです。みんなで、どんなに考えても結局これか~、となるのです。でも、本当にそうなのです。

 

私のバイブルとなった水野敬也著『夢をかなえるゾウ』にも、この世界には、夢をかなえるための自然の摂理ともいえる法則が存在するのだと言っています。

 

 

変化しないものなんてない、人それぞれだという考え方を持っていた私ですが、活躍している先輩方の背中を見て、変わらない法則のようなものもあるのかもしれない、そしてそれを信じられるのかが運命を決めるのかもしれないと、20歳を超えた今、おぼろげに感じることができています。どのみち、おばあちゃんでも、若い人でも、魅力的に思う人はみんな、自分の信念が表れる言葉を持っているような気がしてならないのです。

 

先生のこの本を読み終えて、私はこんな感想を持ちました。

 

先生の生き方は、本気と冗談のさじ加減が絶妙。海外映画で、絶体絶命のシーンで、アメリカンジョークを言う主人公のように、先生の生き方は、冗談の中に本気があり、本気の中にも冗談が入っているのです。だからこそ今、こうして人気作家として活躍し、私のような若者に、希望を与えることができているのだろうと思います。本気と冗談で生きてゆくさじ加減が分かるようになれば、もっと生きやすくなるだろうし、不幸な人生を送ることにはならないだろうなと、そう思わされました。

 

私は、こんな生きるために役立つ本を読むと、不安が消えるわけではないけど、光が見えてきたような気持ちになります。それは多分、実際に経験したという実感がないからでしょう。

 

 

でも、確かに私の目の前には、道がある。

 

 

こんなこと言ったら、先生に「それがどうした」と言われそうですが(笑)

 

ただ今、続・大人の流儀を読んでいます! ホント先生の文体好きだな~。なんか、好き(笑)ソレガドウシタ。