私というちっぽけな表現者

もの書きミュージカルダンサーへの日々。

#思いがけずにできたコロナ休日 #這い上がる #本

お題「#おうち時間

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メンタリストDaiGo。

テレビ、本、ラジオ、youtubeなど、多くのメディアに取り上げられ、注目を浴び続けている彼のことを知らない人は、少ないと思う。そもそも、「メンタリスト」という職業を作ったのも彼なのだ。相手の選んだカードを何気ない会話の中から読み解いていく、というゲーム感覚の番組などもあり、怖いくらいに当たるのが面白い。メンタリストDaiGoと対面した大物俳優たちが、演じて隠そうとしても、その裏の裏を読んで本心を読み解いてしまうからだ。

 

そんなメンタリストDaiGoのyoutubeをたまたま見ていると、興味深いものがあった。「コロナでできた急な休み中に何をすれば人生変わるか考察」というタイトルの動画だ。そこでDaiGoは、心理学的に、与えられた休日に、人は幸福を感じにくいという研究結果が出ているという。それは、「コントロール感」の問題で、自分の力で考えた計画を達成した快感によって人は幸せを感じるからだ。例えば、何もすることがないとダラダラ過ごすより、今日はやってみたかったコレをしてみようと決めて過ごす休日の方が充実感が得られるということだ。

もちろん、体を休ませるという意味で、丸一日ぐ〜たらする、というのも幸せだろう。だけど、それをまる一ヶ月続けてしまうと、心にも体にも悪い。

 

という私は、自粛に入って、何のやる気も起きなくなっていた。会ったことはないけれど、小さい頃から馴染みのあった、志村けんさんの訃報、生きる源にしていたくらい楽しみだった舞台の中止、ダンスや芝居のレッスンも無くなり、それが結構堪えた。もともと、何かをしていないと不安になってしまう性格だから、尚更だ。急にやることがなくなって、家にいるが、家でやる趣味もなく、思いつかない。何かをやる気力もなくなって、動かないから、気怠くなってきて、悪循環だ。ご飯も作る時間はたくさんあるのに、面倒に思えて、普段は食べないようなスナック菓子と、チョコレートの大袋になっていた。

 

やばい……。

頭では分かっているが、狭い部屋で、ずっと動かず過ごしているから、もう体が動こうとしない。そんな状況に陥っていた。

 

今までは、週に4日レッスンへ行き、週4、5でバイトへ。たまに友人と食事したり、写真撮ったり、活発に動いていたのに、それが一気にできなくなったのだ。落ちていくのも、当然に思える。

だから、心理学的には、理にかなっていると言えるのかもしれない。だって、自分で計画して得た休日じゃないし、計画立てて何かしようとも思えなかった。いわゆる、幸福感を感じる「コントロール感」は皆無だった。逆に、あれもダメ、これもダメ。自粛しないと……とあらゆる見えないものに支配されている感覚だったから、どんどん堕落へと向かっていた。

 

 

一日中ベットの上で過ごし、無の状態で天井を見つめていた。すると、カーテンの隙間から、光が見えた。ああ、今日いい天気なのだな、と少しだけ体を起こし、思い出したかのように空気の入れ替えのために窓を開けた。

 

フワッとカーテンがなびいた。風が顔にかかり、重たい瞼が少し上がった気がした。その時、なぜだかわからないけれど、ある本のタイトルが浮かんだ。ずっと気になっていて、読めていなかった本のタイトルだ。それが、マンガ版『死ぬこと以外かすり傷(通称:死ぬカス)』だった。ご存知の方もいるかもしれないが、東京天狼院の片隅に、「本の知恵袋」というオススメの本をお客さんが紹介しているコーナーがあって、その中にこの本のことが書いてあったのだ。私はそれを、無意識に読んでいて、ずっと心の片隅に残っていた。

 

私は我に帰ったように、ここ数日ずっと着ていたパジャマを脱ぎ捨て、顔を洗い、マスクをして完全防備で自転車に乗った。すぐ近くの本屋で、漫画版の『死ぬカス』を買ったのだった。家に帰るなり、その本を読んだ。結果的にいうと私は猛烈に危機感を覚えた。

 

「わわわわわ、私腐ってきてる……、「熱狂」を忘れるところだった……」

 

と、そう思った。そこからは早かった。自分に今できることは何か考え出し、何でもいいから手を動かし始めた。ダメだったらダメ、できなかったらできなかったでいいから、とにかく手を動かさなければ、という思考に変わっていたのだ。

今になって思う。あの感覚は何だったのだろう。なんか、変な感覚だ。何かに突き動かされるような感覚。周囲のことなんて忘れて、何者かに操られるように、行動していた。こうやって記事をたくさん書いたり、あらゆる映画や本に触れたり、会いたい人に電話したり、オンラインのレッスンを受け始めたり。何に役にたつかもわからない。もしかしたら無意味かもしれない。だけど、今、やってみたいこと、それを全力でやってみた。周りから見たらちっぽけかもしれないけれど、そんなのはどうでもいい。ただただ、思うままに手当たり次第にやっていた。そうすると、自ずと自分自身について、ゆっくりと見つめ直し、考えている自分もいた。

 

 

ああ、そうか。今、腑に落ちた。著者である箕輪さんの「熱狂」が本を通して、私に乗り移ったのだな、と。この本にもそれは、堂々と書いてある。

 

たとえ一人であっても、「熱狂」は、いろんな人に移って広がっていく、と。

これは、箕輪さんだけに言えることではない。何かに熱狂的になっている人は、それが正の感情であろうと、負の感情であろうと、注目される。なんかおかしなことやってる奴がいるぞ? と。そうやって多くの人の目にとまると、それに共感した人が仲間に加わって、どんどん伝播し、その輪が大きく広がるのだ。

 

私はこの本を読んで、危機感を覚えるほど、やらねば!!!! となった。堕落した生活を送ることによって、今まで自分の積み重ねてきたことを、棒に振るうなんてもったいないと、気付かされた。もっともっと、成長させていく術はあるだろう? と鼓舞された。

 

本が、またしても私を救ってくれた。これまで幾度となく救ってくれて、支えられてきたのに。本は、何の見返りも求めず、平等に人を救うのだ。

 

もし、今何もすることがなくて退屈している人がいるのなら、この本を読んでみてほしい。マンガだから、活字が苦手な人でも読めると思う。私も、マンガならいけるかな……と思って単行本もあるが、あえてマンガを選んだのだった。ただでさえ、読書をするときは、座ったり、寝そべったりして動かないことが多いのに、そこからここまで立ち上がらせてくれる本はそうそうないと思う。だけど、この本は、ベットに貼り付けられていたかのような私を、ひっぺがし、行動させてくれた。ほんとに、「熱狂」の力ってすごいと思う。

 

だから、この本は、ピンチをチャンスに変えられる本だ。

腐りそうな人間を、叩き、目覚めさせてくれる本だ。

逆境なんて糞食らえと思わせてくれる本だ。

ワイルドで、サバイバルな本だ。

 

この「熱狂」がまた、読んだ人に伝播してくれることを望んでいる。

そしてほんとにそうだな、と思う。

死ぬこと以外、かすり傷だよ。