私というちっぽけな表現者

もの書きミュージカルダンサーへの日々。

自分1人でなんでもしようとしてしまうおバカさん

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私は今もなお、

家族に支えてもらっています。

精神的にも経済的にも。

 

大学まで行かせてもらったのにも関わらず

その後ろくに就職もせず、私は

 

踊る、書く

 

という大好きなことで生きていこうと決めました。

 

周囲を見れば

社会人としていろんな問題と向き合いながら生計を立てるため、一生懸命働く人々。

 

当然、自分に引け目を感じました。

申し訳ない。

 

だからこそ、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思い、

自分1人でできることは、なんでもやろう。

周りに迷惑をかけないようにしよう。

すでにお金も生活も迷惑をかけているのだから...

 

当然ですよね?

そう思いますよね?

 

だから、私はどうしたら8月までに10万円を貯められるか、とかその他諸々考えていました。

そして、悩んでいました。

 

あと1ヶ月ちょっとで10万円。

貯めようと思えば貯められます。

働けばいい。

でも、思い悩んでいました。

なぜなら、私は踊ること、書くことができなくなったら意味がないのです。

そっちがメイン。そして、自分の体こそ、主本。踊れなくなったら元も子もない。

 

毎日踊って書いて、働いて。今はそれができている。

でも、そんな生活ができるのは、

家族や周囲の方々に支えられているから。

 

ただでさえ稼いだお金は

ほぼ交通費とレッスン費にとんで行くのに、それプラスでお金を貯める、しかも1ヶ月間で、なんて無理なこと。

 

無理して体を壊したら、本末転倒。

つまり、

コツコツ、地道にしかお金は貯めることなんてできないのに、1ヶ月で貯めようなんて、私にとっては

「できない」ことなんです。

 

でも、それを「できること」だと思って言い張って、しようとしていた。しかも、誰にも頼らずに。自分の力で。

 

私は口だけの、おバカさんでした。

 

私は勘違いをしていました。

 

それは、「できないこと」を「できること」にしようとしていたことでした。

 

しかし、ある人に言われ、気がつきました。

親を甘えることは必ずしも悪いことではない。

見えないところでお金じゃない何かを交換しているから。

私はこれを言われた時、

そんなの嘘だ、甘ったれた人の言い訳だ、と思っていました。

でも、考えてみると、

お金じゃない何かを自分が家族に届けられている自信がないから、

気持ちよく甘えられないのだということに気づいたのです。

ならば、お金じゃないところで、私は家族にその対価を返さなければ。もっと家族のことを大切にしなければ。

そう思うことができました。

 

母親にも言われました。

お金は

自分が今稼ぎたいと思ってることで稼げるようになって返せばいいのだから、

今はそのために「自分」ができることを第一にせやんとやないとね?

それが今は遠回りに思えるけど、1番の近道よ。

 

つまり、本当に自分のできることをしっかりすることこそ、今も今後も周囲の人に迷惑かけずに済む第一の方法だということ。

だから、自分に「できること」と「できないこと」を見極めることはとても重要なことなのです。

 

自分のことばかり考えてはダメだし...

 

そう思ってとっていた行動の方が

逆に周りに迷惑をかけることになるとは思ってもみませんでした。

そういう行動をとる時こそ、自分のことをちゃんとやれ、と言われるのです。

 

 

だから私は自分にこんな「できること」を課しました。

 

夜遅くに泊めてくれたり、

仕事を教えてくださったり、

何かを一緒にしようと声をかけてくださったり、

困っている時に声をかけてくださったり、

いつも一緒にいてくれたり、

 

とにかく

私がありがたいな、支えられてるな、嬉しいな 、素晴らしいな、と思える人のことを忘れない。

そして、返すべきタイミングの時に、

必ずお世話になった方々に何百倍にでもして恩返しをすること。

 

この道を選んで、

自分1人でなんて、本当に何にもできないことがジンジンとわかりました。

なんでもしようだなんて、おバカさんなだけ。

 

ですが、それを惨めに思うのではなく

たくさんの方々手をお借りして、

少しずつ、でもたくさんの私ができるお返しをすれば、いい。

できないことをして、蟻地獄に落ちるようなことになり、迷惑をかけるより、ずっといい。

 

そう思えたことで、おバカさんな私だけれど、もっともっと自分の信じる道を進んでいけそうです。