私というちっぽけな表現者

もの書きミュージカルダンサーへの日々。

【フィクションが一度も書けなかった私】必要な覚悟は.....

 
 
今まで、自分のことしか書けた試しがありませんでした。
 
フィクションに挑戦したことは、ありました。
でも、web天狼院掲載になることは愚か、講評も「つまらない」「小手先」「覚悟がない」という厳しいもので、
正直、もう、三浦さん怖い! と思ってしまったこともありました(笑)もちろん、毎週真剣に講評していただいていることには感謝で感謝で、頭が上がりません!!!
 
でも、何度も何度も心を折られて、私なりの答えを必死に考えて導き出し、正解かも分からないまま提出したとき、
はじめて「いいコンテンツだった」と評価してもらうことができました。
そして、初めて掲載に至ったフィクションの記事がこちらなんです。
 
「自分で書いた」「自分で自分なりの答えを導き出した」と言いましたが、
だも実は、
全て周囲の方の考え方とか、言葉のおかげでなんです。
 
話のネタのモデルになった人や、風景。
どういう覚悟で書くべきか決定的なヒントをくれた記事。
 
それが無かったら、一生フィクション書けなかったかもしれません!
書けなくはないとしても、もっと時間がかかったかも。
 
書く覚悟を教えられたのは、天狼院書店池袋駅前店店長の紗生さんの記事でした。
 
 
この記事で、紗生さんは、三浦さん著『殺し屋のマーケティング』で、「作家が消えていた」と言います。
 
私はハッとしました。
 
フィクションを書いている時、私はその物語から消えていただろうか?  
 
書き手が消えるということはつまり、
作家なんてどうでもよくなるくらい、その話が面白くて夢中になってしまうということです。
 
それが、読んでくれる人を喜ばせるということ。それができれば、自分のことなんてどうだっていいですよね??
 
私に足りない覚悟は、こういうところなのかもしれない。
フィクションを書くにはこれが必要なのかもしれない。
 
 
それは......
 
「自分を文章から消す覚悟」
 
 
私がノンフィクションで自分が考えたこと、体験したことをもとにした記事しか書けなかったのは、フィクションの世界観を信じ切れず、その世界に入り込めない自分がいて、それが世界観を乱してしまっていたからかもしれません。
 
だから今回、自分を消すことを意識して書きました。
そうして書いていったけど、実際に果たして自分が消えたかは分かりません。
でも、掲載に至ったということは、少しずつではあるけど、いい方向へ変化できたのかなと思います。
 
初!フィクション。良かったら読んでみてください!!
ああーー!嬉しい(笑)